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大阪地方裁判所 平成7年(ワ)424号 判決

原告

大浦正義

右訴訟代理人弁護士

鈴木康隆

岩田研二郎

横山精一

戸谷茂樹

財前昌和

被告

学校法人住吉学園

右代表者理事長

天野一

右訴訟代理人弁護士

林幸二

山崎武徳

主文

一  原告が被告に対して労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告は、原告に対し、金二四〇三万五一八〇円及び平成八年八月以降毎月二一日限り金五七万九〇三〇円を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

五  この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  主文第一項同旨

二  被告は、原告に対し、金二四三四万〇〇二〇円及び平成八年八月以降毎月二一日限り金五八万三〇三〇円を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告の経営する住吉学園高等学校(以下「住吉学園」という。)の商業科専任教諭である原告が平成六年三月二五日、被告に解雇されたことから、右解雇の無効を理由に、地位確認と未払賃金などの支払を求めた事案である。

一  争いのない事実及び弁論の全趣旨により認められる事実

1  被告は、住吉学園及び住吉学園付属幼稚園を経営している。

住吉学園は、昭和一六年「大阪住吉女学校」として、「躾教育を中心とする日本女性としての婦徳の涵養に努力し、強く、正しく、優しい女性を育成する」ことを教育目標にして創立され、同一九年「大阪住吉女子商業学校」と改称した後、同二三年学校名を現在の名称にし、普通科・商業科・家庭科を設置した。昭和五七年、一年生について普通科総合制を採用し、二年生、三年生について普通科と商業科に分離する制度変更を行い、平成二年に、一年生普通科総合制、二、三年生普通科コース制(文系進学、理系進学、情報)に改組した。

住吉学園は、全生徒が女子で、平成六年四月現在、生徒数一二三二名、教職員数九一名である。

2  原告は、昭和二二年一月生まれで、同五三年四月、住吉学園に非常勤講師として勤務し、同五五年四月商業科専任教諭となり、現在に至っている。

原告は、昭和五五年六月、大阪私学教職員組合住吉学園分会(以下「分会」という。)に加入し、同五六年二月、分会執行委員に選出され、同五七年二月、分会書記長に選任され、以後分会書記長の地位にある。

3  被告の就業規則は、以下のように規定している。

第四三条 職員が次の各項の一に該当する場合は懲戒に付し、程度に応じて解雇、減俸、出勤停止、及びけん責処分する。

1 職務上の義務に違反し又は職務を怠った場合

2 職員たるにふさわしくない非行のあった場合

3 他人をそそのかして前2項の行為をなさしめた場合

第四七条 前三条の処分を経るか又は前各条の一の処分を再三受け、改悛の見込なしと認められたとき若しくは本人の重大な過失及び学校の統制を破かいする行為のあったときは行政官庁の認定を得て第二七条の規定を用いずして解雇する。

4  原告は、平成六年三月一九日、住吉学園の天野久校長から呼出を受け、理事会で懲戒処分の対象となっているので、同月二三日午前一〇時に弁明の機会を与える旨告げられ、同月二三日、被告と分会との団体交渉の場で、原告に弁明の機会が与えられた。

被告は、原告に対し、平成六年三月二五日「1同日付けで原告を解雇する。ただし、退職金七六三万二〇〇〇円、解雇予告手当五一万二二〇〇円を支給する。2根拠規定 就業規則四三条、四七条」という内容の解雇通知を発して、原告を解雇(以下「本件解雇」という。)した。なお、被告は、原告に対し、懲戒解雇をしたものではなく、諸般の事情を考慮して、普通解雇として本件解雇をしたものである。

二  被告の主張

前記のような住吉学園の教育方針を実現するため、住吉学園の教育職員は、「生徒の個性を把握すること、繰り返し繰り返し、きめ細かく指導すること、指導の結果を確認し、足りない部分をさらに指導をしていくこと」が必要とされるが、原告は、この点に欠け、後記のように教育上多くの過ちを犯したことから(就業規則違反を含む。)、被告は、原告が住吉学園の教育職員として不適格であると判断し、本件解雇を行ったのであり、本件解雇は正当である。

1  単位認定問題

(一) 住吉学園における単位認定、進級判定は、学校長以下すべての専任教諭で構成する進級判定会議で決定され、特定の管理職には、単位認定、進級判定に関する権限はなく、その権限はすべて右判定会議にある。また、単位認定の公正を保持するため、教育職員は、進級判定会議前に単位認定、進級について、生徒及びその父兄と一切会わないことになっていて、単位認定、進級に関する生徒、父兄の疑義に対しては、毎年進級判定会議の翌日に行う「申し渡しを兼ねた保護者会談」において回答し、その理解を得ることになっていた。

(二) 原告は、平成六年三月、単位不認定の可能性の高い生徒K及びその両親に対し、進級判定会議前に「校長や教頭やったら何とかなる。」と言って、あたかも校長や教頭に頼めば単位不認定が撤回されるかのように申し向けて校長や教頭に会うことを勧め、校長や教頭に相談することなくその日程を設定し、両親を教頭に面会させた。

これは、公正であるべき「単位認定」について、住吉学園が不公正な運用をしているがごとく誤信させ、住吉学園の信用・名誉・権威を失墜させるもので、教育職員にあるまじき行為である。

2  生徒募集行為の妨害

(一) 受験者数が年々減少する傾向の中、住吉学園は、募集定員を確保するため、平成五年一一月二七日、受験生(中学三年生)及びその保護者を対象に入試説明会を実施したが、原告は、同日午後一時二〇分から二時までの間、校内において、受付を済ませ、説明会場に向かう保護者及び受験生にビラ(乙七)を配布した。

(二) 右ビラには、「学園の私物化」「放漫経営」及び「管理職の優遇」といった虚偽の内容が記載され、しかも、このようなビラの配布は、分会の決定によるものではなく、原告個人の行為として行われた。

(三) 原告の行為は、住吉学園の信用を著しく失墜させ、保護者や受験生に住吉学園の経営姿勢について悪いイメージを抱かせ、受験生が住吉学園の受験を取りやめるおそれがあり、住吉学園の生徒募集行為を妨害するもので、就業規則四七条にいう「学校の統制を破壊する行為」に該当する。

3  その他の職務怠慢事由

(一) 昭和六〇年三月、原告は、数学の追試を受ける生徒に時間を間違えて伝えたため、その生徒が遅刻し追試を受験できなかった。なお、住吉学園は、この生徒に過失はないとして、特例により再度追試を実施した。

(二) 昭和六二年四月二一日三時限終了後、今中政徳生活指導部長(当時。現在教頭。以下「今中教頭」という。)が、校則に違反した生徒を発見し、その生徒に対し所持品検査を実施するため、生活指導室へ連れて行こうとしたところ、学級担任の原告が、その生徒を教室に連れて行き、「用事がある。」という生徒の言葉で生徒を帰宅させた。

所持品検査は、本人の了解を得て生活指導室で行われるのが原則であり、学級担任は、生活指導部と連絡を取りながら生徒を指導することになっているにもかかわらず、明らかに校則違反をしている生徒に対し、何らの指導をすることなく生徒を帰宅させたことは、指導上の怠慢である。

(三) 昭和六三年二月一日昼休み、原告の担任するクラスの生徒N、Oの二名が同じクラスの生徒Kと口論し、Nが暴行を加えるという事件があり、同日夕方、下校途中の南海本線住之江駅構内のトイレにおいて、原告の担任するクラスの生徒S、Aの二名が同じクラスの生徒Mに対し暴行を加えるという事件があった。

これは、原告が担任として日頃から適切な指導を怠っていることを示すもので、しかも、同じ日に二つの事件が起きるということは、最初の事件で十分生徒の指導をしていないことを示している。

(四) 昭和六三年六月二七日、この日は、インターハイの予選出場申込みの日で、申込時間は、午後四時三〇分から午後五時三〇分であったが、当時水泳部の顧問であった原告は、同日午後四時五〇分連盟から書類不備の連絡を受けながら申込会場に行かず、そのため、生徒Mはインターハイの予選に出場できなかった。

(五) 平成二年九月一四日、校内水泳大会(学級対抗)が行われたが、原告が担任するクラスは全員が棄権した。これは、原告の学校行事に対する協調性のなさを示すものである。

(六) 住吉学園では、修学旅行の際、災害時の避難などの安全を考えて、就寝時体操服を着用することになっていたが、平成二年一二月六日、修学旅行中、原告担任のクラス生徒が、体操服を着用しなかったばかりか、体操服を宅配便で自宅に送り返していたということがあり、しかも、宅配便で自宅に送り返すことについて、原告がこれを許容していた。

(七) 原告は、平成五年四月、前年度の「補助簿」(生徒の学習(成績)の記録・出欠・遅刻早退の記載で毎学期、各月の明細記録である。)に乱記入し、「進路指導票」(生徒の進路希望・出欠・学習の記録・進学模擬テストの結果が記入されている。)に誤記入をした。

(八) 出張願いは事前に提出し、学校の許可を得てから、出張すべきものであるが、原告は、出張願いを出張後長期間経過した後に提出することが多く、平成五年一一月二七日も出張願いを事後に提出し、その点について原告に注意すると、「後出し出張は絶対にあかんねな。」と毒づいた。

(九) 平成五年一二月四日、修学旅行中、付添の看護婦から、「私が乗車しているバスには担任の先生は乗っておられないのですか。」と言われ、教頭が、横にいた原告を指して、「乗っておられますよ。」と答えると、看護婦から「そうですか、写真屋さんとばかり思っていました。生徒がなにも言うことを聞かないものですから。」と言われた。これは、生徒に対し担任としての行動をとっていないことを示している。

三  原告の主張

(被告の主張に対する認否・反論)

1(一) 被告の主張1(一)のうち、教育職員が、進級判定会議前に単位認定、進級について、生徒及びその父兄と一切会わないことになっているとの点は否認し、その余は認める。

(二) 平成六年三月、原告が単位不認定の可能性の高い生徒Kおよびその両親と会ったこと、両親を教頭に会わせたことは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。

原告は、平成六年三月五日、生徒Kに体育が欠点であった旨を伝え、同日Kの両親にそのことを伝えたが、Kの両親が体育教科担当のS教諭(以下「S教諭」という。)に強い不信感を持っていたことから、保護者の言い分を学校側に伝えることが必要と判断し、今中教頭の了解を得て、両親を今中教頭に会わせたのであり、原告の対応に何ら問題はない。

2(一) 被告の主張2(一)のうち、受験生に配布したとの点は否認し、その余は認める。

(二) 同2(二)は否認する。

分会は、被告理事長らが一方的な学園経営を強行しようとしていたことから、平成五年一一月二五日、分会の主張を立看板にして掲示していたが、被告理事長は、突然「看板撤去通知」を分会に通告してきた。そこで、分会は、学園の現状と分会の訴えを入試説明会に参加する保護者にも知らせることが必要と考え、立看板に記された内容を理解してもらうため、ビラを作成して配布することとし、同月二六日、理事会側に立看板の撤去通告が無効であることを通知するとともに、入試説明会の際に保護者にビラを配ることを通告した上、同月二七日、分会の鈴木明分会長、原告及び田中千尋組合員(以下「田中」という。)の合計三名で、約四〇名の保護者にビラを配布したのであり、ビラに記載された内容も真実である。

このように、原告らが行ったビラの配布は、労働組合の正当な組合活動であり、何ら問題とされるものではない。

(三) 同2(三)は争う。ビラの配布によって、住吉学園の入学志願者が減少した事実はなく、したがって、生徒募集行為の妨害という事実もない。

3(一) 同3(一)のうち、生徒が遅刻して追試を受験できなかったこと、その生徒について再度追試が実施されたことは認め、その余は否認する。その生徒が遅刻したのは、原告の連絡ミスが原因ではなく、追試の時間を聞き間違えたことによるものである。

(二) 同3(二)のうち、前段は認め、後段は争う。この日、原告が担任をしていた生徒が下校しようとしていたところ、同人が化粧をしていることを今中教頭(当時生活指導部長)が見とがめて、カバンを開けるよう指示した。しかし、生徒がカバンを開けることを拒否したので、今中教頭は、「カバンを開けないなら学校を辞めろ」と言って極めて緊迫した状況となった。原告は、その生徒が家庭の不和から大人不信に陥り、生活が荒れていたことを知っていたので、その生徒を教室に連れ戻し、下校を急ぐ理由を聞いた上、化粧を取らせて下校させたのであり、原告の対応に何ら問題はない。なお、当時、住吉学園には所持品検査に関する規定はなかった。

(三) 同3(三)のうち、前段は認め、後段は争う。この件について、生徒の処分が職員会議で議論されたが、原告の責任が問題とされたことはない。

(四) 同3(四)は認める。インターハイの予選である大阪中央大会の出場申込は、従来、三年生と下級生が一緒に行くようになっていたが、この時は、三年生のマネージャーが手続を下級生に任せたため、必要書類を持っていかず、時間切れとなった。この件につき、原告は顧問として反省し、以後いつ誰が申込に行くかを事前に確認するようにし、同種の事故は生じていない。なお、原告は、後日、手続ミスにより大会に出場できなかった生徒の自宅に行って謝罪し、父兄の納得を得ている。

(五) 同3(五)のうち、事実は認め、主張は争う。水泳大会は、各クラスから代表選手を一〇名程度選出し、この年も、原告のクラスから七、八名の選手が選出されていたが、当日数名の生徒が欠席し、他の生徒も健康上の理由により欠席したいと言ったことから、原告は、クラス担任として出場するよう求めたが、結果として、選手全員が参加できなかった。なお、この件について、職員会議などで原告の責任が問題となったことはない。

(六) 同3(六)のうち、原告が体操服を宅配便で送ることを許容したとの点は否認し、その余は認める。この時、生徒は、当時の教頭に激しくしかられたため、言い訳として「担任が許可した。」と言ったようで、原告は、教頭が生徒を叱っている場所に行った際、他の教員からその点について尋ねられたが、ここで本当のことをいうと、教頭の叱り方がさらに激しくなると考え、生徒の言い訳をあえて否定しなかった。

(七) 同3(七)は認める。住吉学園では、生徒個々人別に「成績補助簿」という個人別表が作成され、これは三年間使用するため、各学年時の担任が、クラス名の印を補助簿に押して次の学年の担任に引き継ぐことになっていたが、原告担任の「杉組」の生徒四〇名について、クラス名の印を押し忘れ、そのことが、クラス分けの作業中わかったので、原告から元杉組の生徒を新たに担任するようになった教員にクラス名の記入を依頼した。また、原告の担任であった約四〇名の生徒について、「進路指導票」に一年時の模擬テストの成績を記入する際、原告が記入欄を間違えて記入していることがわかったので、その訂正を依頼した。

このように、被告の主張する帳簿の乱記入、誤記入とは、単純な事務処理上のミスであり、この年度だけのことで、これにより学校運営や生徒指導上何ら支障を生じているわけではない。

(八) 同3(八)は否認する。住吉学園では、従来より、事後の出張願いの提出は行われていたが、今中教頭は、この時従来からの慣行に反して何ら理由を説明しないまま、出張願いの事後提出を認めないと言い出した。そこで、原告は、「後出し出張は絶対あかんねんな。絶対に公平に実施してや。」と述べて分会員だけでなく、他の教職員に対しても平等に行うよう強く念を押したのである。

(九) 同3(九)は知らず、主張は争う。

4 このように本件解雇には何ら正当な理由はなく、解雇権の濫用として無効である。

(不当労働行為の主張)

5(一) 平成五年八月二二日、被告の天野隆理事長(三代目)が退任し、二代目理事長の長男天野一が理事長に就任するとともに、その弟の天野久が校長に、今中政徳が教頭にそれぞれ就任し、さらに、新たに「副校長」のポストを設け、天野一理事長の従姉妹の夫である溝口利夫が副校長に就任し、いわゆる「新体制」が発足した。

新体制発足後、被告は、理事長・校長報酬の増額、副校長ポストの新設、管理職・理事への天野一族関係者の就任、管理職となった教師の授業担当廃止などを決定した。

(二) これに対し、分会は、理事長報酬の減額、副校長ポスト新設の撤回、管理職教師の授業担当継続などを求めて被告と団交を行い、被告理事会と激しく対立していたが、その中で中心となったのが原告であった。

(三) 被告は、このような原告の組合活動を嫌悪し、原告を住吉学園から排除する目的で本件解雇を行ったのであり、本件解雇は不当労働行為として無効である。

(未払賃金など)

6 原告の平成六年四月分以降の賃金(毎月二一日が支払日)、一時金などは、以下のとおりである。

(一)(1) 平成六年四月分から同七年三月分までの賃金は、月額五六万〇四七〇円(基本給五一万二二〇〇円、家族手当二万五六〇〇円、主担任手当四〇〇〇円、特別手当二六〇〇円、通勤手当一万六〇七〇円)で、この期間の未払賃金は六七二万五六四〇円となる。

(2) 平成七年四月分から同八年三月分までの賃金は、月額五七万四五三〇円(基本給五二万五二〇〇円、家族手当二万五六〇〇円、主担任手当四〇〇〇円、特別手当二七〇〇円、通勤手当一万七〇三〇円)で、この期間の未払賃金の合計は六八九万四三六〇円となる。

(3) 平成八年四月分から同年七月分までの賃金は、月額五八万三〇三〇円(基本給五三万二七〇〇円、家族手当二万六六〇〇円、主担任手当四〇〇〇円、特別手当二七〇〇円、通勤手当一万七〇三〇円)で、この期間の未払賃金の合計は二三三万二一二〇円となる。

(4) その結果、平成六年四月分から同八年七月分までの未払賃金の合計は、一五九五万二一二〇円となる。

(二) 平成六年度夏季一時金一一五万三三〇〇円、同年度冬季一時金一八三万二四〇〇円、同年度年度末手当四七万三三〇〇円、平成七年度夏季一時金一一八万〇二〇〇円、同年度冬季一時金一八七万五二〇〇円、同年度年度末手当四八万三七〇〇円、平成八年度夏季一時金一一九万七八〇〇円で、一時金の合計は八一九万五九〇〇円となる。

(三) 図書手当として、各年度一律五万四〇〇〇円支給され、平成六年度から同八年度までで、合計一六万二〇〇〇円となる。

(四) 勤続一五年リフレッシュ手当として、平成七年度に金三万円が支給される。

(五) 平成八年八月分以降の賃金は、月額五八万三〇三〇円である。

四  被告の認否、反論

1  原告の主張5(一)は認め、(二)は知らず、(三)は争う。

2(一)  同6(一)(1)は、「主担任手当」及び「通勤手当」を除いて認め、月額賃金及び未払賃金の合計は争う。原告は、主任、担任ではないので、「主担任手当」の支給はないし、この一年間は通勤していないので、「通勤手当」の支給もない。この期間の原告の月額合計額は、五四万〇四〇〇円で、給料の合計は、六四八万四八〇〇円である。

(二)  同6(一)(2)及び(3)は、「主担任手当」を除いて認め、月額賃金及び未払賃金の合計はいずれも争う。平成七年四月分から同八年三月分までの原告の月額賃金は五七万〇五三〇円で、未払賃金の合計は六八四万六三六〇円であり、同八年四月分から同八年七月分までの月額賃金は五七万九〇三〇円で、未払賃金の合計は二三一万六一二〇円である。

(三)  同6(一)(4)は争う。平成六年四月分から同八年七月分までの未払賃金は一五六四万七二八〇円である。

(四)  同6(二)ないし(四)は認め、(五)は争う。平成八年八月分以降の賃金は、月額五七万九〇三〇円である。

五  通勤手当及び主担任手当についての原告の反論

通勤手当も賃金の一部で、本件解雇がなければ当然に支給されていた金員であるし、原告は、本件解雇後もその効力を争い、従業員たる身分があるものとして、ほとんど毎日出勤して就労を求め、この間自己負担で交通費を支出していたのであって、本件解雇により交通費の支出を免れたわけではない。

また、原告は、解雇前も担任を持ち、賃金の一部として、「主担任手当」を支給されていたし、原告の経歴や勤務実績からすれば、本件解雇がなければ、平成六年四月以降の年度も例年と同様担任を持っていたのであるから、「主担任手当」も賃金として請求できる。

六  争点

1  本件解雇は有効か。

2  本件解雇は、不当労働行為となるか。

3  平成六年四月分から同八年七月分までの未払賃金などの合計額及び同八年八月分以降の月額賃金如何。

(一) 平成六年四月分から同七年三月分までの通勤手当は認められるか。

(二) 平成六年四月分以降も、「主担任手当」が認められるか。

第三  争点に対する判断

一  原告の住吉学園の教師としての適格性について

被告は、住吉学園の教育方針を実現するための教師としての一般的な適格性を欠いていると主張するが、確かに、証拠(乙二〇の一、二、二六、二七、証人天野)によれば、原告担任のクラスの生徒一人当たりの遅刻、早退回数が長年にわたって常に多く、全クラス中最悪か、それに近い状態にあることが認められるのであって、その原因がすべて原告に帰するといえるかは問題があるとしても、その相当部分は、原告の指導力や熱意等との係わりが存することは否定し難いというべきであるので、右事実によれば、原告の生徒指導がその熱意、方法等において、十分なものであったかは極めて疑わしいということができる。この点、原告は、本訴において、綺麗ごとに終始した主張ないし供述をしているが、到底措信することができない。この点は、本件解雇の効力を判断するに際し、相応の考慮がなされてしかるべきではある。

二  争点1について

1  単位認定問題

(一) 証拠(甲二三、四七、五〇、五五、乙一五、二二、二三、証人天野及び原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認定することができる。

(1) 住吉学園では、各学期(三学期制)で試験を実施し、これら各学期の総合点を三で割って年間の学習成績を出し、その結果、三〇点未満の科目を欠点(いわゆる「赤点」)とし、単位不認定としていた。もっとも、三学期までの成績が出た段階で、単位不認定となる科目について、救済制度として追試を実施し(ただし、追試を受けられるのは、不認定科目が三科目の範囲内であることを要し、四科目以上の場合には、追試を受ける資格が認められない。)、二科目以上落とした場合には留年となり、一科目の場合には、前年度不認定科目がないことを条件に「仮進級」として仮に進級を認めていた。

(2) 原告は、平成六年三月五日、教科担当から自己の担当するクラスの生徒(二年生)の成績表をもらったところ、数名の生徒について欠点があったことから、同日そのことを生徒らに伝え、生徒Kについても、体育が欠点であった旨を伝えた。

生徒Kは、一年から二年に進級する際仮進級で、しかも、体育の場合追試をしないことになっていたことから、体育で欠点を取ると留年するという状況にあった。そこで、生徒Kは、何とかならないかと原告に尋ねたが、原告は、「難しい。一六日の判定会議で決まる。」と答えた。その後、生徒Kの友人も、原告のところに来て何とかならないのかと言ってきたが、原告は、その友人にも「難しい。九九パーセント難しい。」と答えた。

(3) 原告は、同日、欠点を取った生徒Kを含む生徒らの自宅に電話して、保護者にその旨を伝えた。原告は、生徒Kの自宅には、午後三時ころ電話し、母親に体育が欠点であったことを伝えた。生徒Kの母親は、体育担当のS教諭と生徒Kとの関係がうまくいっていないと感じていたことから、体育が欠点となったことに納得がいかず、S教諭に会わせてほしいと原告に頼んだ。原告は、成績が出た以上、教科担当に保護者を会わせても何とかなるわけではなく、また、日頃から、生徒Kとその両親がS教諭に不信感を持っていると感じていたことから、両親をS教諭に会わせない方がよいと考えたが、母親がS教諭に会うことを強く求めたため、母親が教師に対して抱いている不満を学校側に伝えた方がよいと考え、「校長か教頭に会ってみますか。」と言った。

その後、平成六年三月九日、生徒Kの母親から原告の自宅に電話があり、途中、父親に代わり、父親もS教諭に対する不満を原告に述べた。この時、父親は、寄付をしたら何とかなるかとか、教育委員会に知り合いがいるなどといった話を持ち出してきたが、原告は、そのようなことは成績と無関係であると答えた。父親は、S教諭に会いたいが、だめなら校長に会いたいと頼んできたことから、原告は、校長ないし教頭に取り次ぐ旨を伝えるとともに、翌日午前一一時に学校に来てくださいと伝えた。

(4) 翌三月一〇日は、成績報告日の締め切りで、ほとんどの教員が登校する予定になっていたことから、原告は、登校するや直ちに今中教頭に、生徒Kの両親が校長か教頭に会いたいと言っていることを伝えたところ、今中教頭は、自分が会うと原告に言った。

生徒Kの両親が、同日午前一一時ころ来校したので、原告が両親に会うと、両親からS教諭に会いたいと言われたが、この点についてはっきりと答えず、教頭が会う旨を伝えた。原告は、今中教頭に取り次ぎ、両親がS教諭に会いたがっていることを伝えたが、今中教頭は、この時期に会わせるのはまずいと言って、生徒Kの両親と面会した。

両親は、今中教頭と会い、S教諭に対する不満を伝えるとともに、S教諭に会わせてほしいと頼んだが、今中教頭は、三月一六日に進級判定会議があるので、それが終われば、S教諭に会わせると答えただけで、S教諭に会わせなかった。この時、今中教頭は、生徒Kの両親から、寄付の話や府議会に知り合いがいるなどと言われたが、これらによって成績が左右されることはない旨を伝えた。生徒Kの両親は、今中教頭と面会した後、再び原告と話し合い、その時も、知り合いに府会議員がいるのでそっちの方から何とかならないかと言ったが、原告は、そのようなことをしても逆効果である旨を伝えた。

原告は、両親と会った後、今中教頭に、両親との話の内容を尋ねたところ、今中教頭は、教科担当に対する不満や追試をしてほしいと言っていたと答え、さらに、原告が府会議員や寄付のことを言っていなかったかと尋ねると、教頭は言っていたと答えた。

この時、今中教頭は、原告と両親との話の内容やその際の原告の対応について原告に尋ねるということはなかったが、その後、平成六年三月一六日の進級判定会議の際、生徒Kの両親に対する原告の対応を問題にし、原告から反論を受けた。

(二) 被告は、単位不認定の可能性の高い生徒K及びその両親に対し、進級判定会議前に「校長や教頭やったら何とかなる。」と言って、あたかも校長や教頭に頼めば単位不認定が撤回されるかのように申し向けたと主張し、乙二二及び二三によれば、右主張に沿う記載がなされている。

しかし、前記(一)で認定したように、原告は、日頃からS教諭に不信感を持っていた生徒Kの両親が、娘である生徒Kの体育の成績が欠点となったことで、S教諭に対する不信感を募らせ、同人から事情を聞きたいと強く求められたことから、直接本人に会わせるよりも、管理者である校長あるいは教頭に会わせて、両親の言い分を学校側に伝えることが必要と考え、校長あるいは教頭に会うことを勧めたのであり、被告が主張するように、単位不認定を撤回させるため校長や教頭に会うことを勧めたとはいえない。このことは、原告が生徒Kやその友人から何とかならないかと尋ねられたときに、単位の認定が難しいことを伝えていること、生徒Kの父親から寄付や教育委員会の話を持ち出された際、そのようなことは成績と無関係であることを明言していることからも窺えるところである。

乙二二及び二三によれば、平成六年三月一〇日、今中教頭は、生徒Kの両親から、原告が「校長や教頭やったら何とかなるかもしれない。」と言ったと聞かされたとするが、どのような状況の下で原告がこのような発言をしたかまでは右書証の記載からは明らかではないし、今中教頭が生徒Kの両親に会った後、原告と話をした際、この点について特に尋ねたりしていないことからすると、今中教頭自身、生徒Kの両親から聞いた話を重要なものと認識していなかったと考えられる(なお、乙二二及び二三によれば、今中教頭は、このときの両親の話を重要視していた旨の記載があるが、生徒Kの両親に面会した直後に原告と話したときの態度からすると、右記載内容は信用できない。)。

してみると、右記載によって、被告主張の事実を認定することはできず、他に右事実を認めるに足る証拠もない。

また、今中教頭は、生徒Kの両親と面会した際、進級判定会議によって単位の認定不認定が決まることを伝えるとともに、両親から寄付の話や府議会に知り合いがいるなどと言われた際も、これらによって成績が左右されることはない旨を明言しているし、原告も、両親と会った際に同様の回答をしているのであるから、原告が生徒Kの両親を今中教頭に会わせたことで、住吉学園の単位認定の不公正が疑われるようなことも全く生じていない。

したがって、被告が主張するような事実はなく、この時の原告の行動も、教師としての適格性を疑わせるものではないのであって、これをもって解雇事由とすることはできない。

2  生徒募集行為の妨害

(一)(1) 証拠(甲一二ないし一四、一七、二四、二五、四七、五〇、五五、乙六、七、一五、二二、二三、証人天野及び原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認定することができる。

平成五年八月二二日、天野隆住吉学園理事長兼校長が退任し、理事長に天野一、校長に天野久、教頭に今中政徳がそれぞれ就任するとともに、住吉学園の渉外部門、すなわち生徒募集活動を強化するため「副校長制」を導入し、溝口利夫が副校長に就任して、いわゆる「新体制」が発足した。

分会は、以前から、教育環境の充実を図るため、住吉学園の財政面に関心を持ち、理事の報酬が高額であることや理事長の親族による学園支配に反対していたところ、「副校長制」が採用されたことで、管理職が増え、住吉学園の財政を圧迫するのではないかと考え、「副校長制」の採用に疑問を持つとともに、理事長の親族による学園支配を懸念するようになった。そこで、分会は、理事会に対し、平成五年九月八日付け団交申入書を提出して「副校長制」の採用の撤回などを求め、同月一四日団交を行い、さらに、同年一〇月八日にも団交の申し入れをして同年一一月一五日団交を行った。しかし、これらの団交を通じても、理事会側から納得のいく回答が得られなかったことから、分会は、平成五年一一月一七日分会総会において、次回の団交(同月二四日)において、理事会側が誠意ある対応をしなければ、分会の要求を社会に向かってアピールすることを決定し、同月二四日の団交に臨んだが、交渉は何ら進展しなかったから、分会は、団交終了後、「学園の私物化と放漫経営の復活反対」などと記した立看板(検乙一)を作成するとともに、立看板の内容を説明するビラを約一〇〇枚作成し、同月二五日、住吉学園校務室前に立看板を設置した。翌二六日、理事長が「立看板撤去通知」を分会に通告してきたことから、同日、分会の三役は、上田事務長に対し、右通告に抗議するとともに、入試説明会に来る保護者にビラを配布することを通告し、分会が要求した三項目(新一年生からの四〇人学級の実現、専任教諭の新規採用、授業持ち時間数の軽減)のうち一つでも同意すれば、ビラ配布は中止する旨を伝えた。しかし、理事会側は、これに対して何ら回答しなかったことから、分会は、翌二七日にビラを配布することにした。そして、平成五年一一月二七日午後一時ころから午後二時ころまでの間、住吉学園校内において、受付を済ませ、説明会場に向かう保護者及び受験生(中学三年生)に対し、原告、鈴木明分会長及び田中の合計三名が、三、四〇枚のビラを配布した(なお、原告は、右の間二〇分ほど、その場を離れていたため、この間はビラを配布していない。)。

原告らがビラを配布していた際、学校側からその中止を求められるなどのことはなかったが、平成五年一二月二日の職員会議において、溝口副校長から遺憾の意の表明があり、これに対し、分会の組合員から反論がなされた。

(2) このように、分会は、「新体制」発足後、副校長制の導入や管理職経費の増大を懸念して、理事会と団交を行ない、理事会から納得のいく回答が得られなかったことから、原告らが入試説明会でビラを配付するに至っているのであり、原告らが行ったビラの配布行為は、分会の活動としてなされていることは明らかであり、これを原告個人の行為と捉えることはできない。

なお、原告は、受験生(中学三年生)にビラを配布していないと主張し、甲五五及び原告本人によれば、右主張に沿う記載及び供述がなされている。しかし、甲二二によれば、この時の入試説明会には、受験生・保護者併せて五四名が参加し、そのうち保護者は二九名であったこと、甲五五および原告本人では、原告は受験生にビラを配布していないというだけで、原告以外の二名については不明であることからすると、この時受験生にもビラが配布されたというべきである。

(二) ビラの内容の虚偽性

(1) 原告らが配布したビラ(乙七)には、「管理職の増員とその優遇」、「放漫経営」等の見出しの下、平成五年八月二五日までは、管理職三名で、経費が年間四〇〇〇万円余りであったのに、「新体制」後は、管理職が五名になり、経費が年間約五五〇〇万円に増額された旨の記載がある。

これに対し、被告は、平成五年八月二五日までの管理職の年間経費は、四三三七万〇八二〇円で、新体制後は、それが三〇五一万円になり、約一三〇〇万円の減額になっているのであるから、ビラに記載された内容は虚偽であると主張する。

証拠(甲五〇、五五、五六、六四および原告本人)によれば、右ビラを作成したのは原告で、原告は、毎年理事会から組合に渡される各年度の予算書や、事務長から直接聞いた内容などから管理職の年間経費を割り出していて、個々の数値自体は、被告の主張するところと大きな差はないが、右ビラでは、教頭と副校長の基本給与約二〇〇〇万円も管理職経費に含ませているのに対し、被告は、新体制になる前は、教頭及び副校長は管理職ではないのであるから、両名の基本給与を管理職経費に含ませるのは相当ではなく、結局、新体制になって増加したのは、右両名の管理職手当のみであると主張している。

してみると、原告と被告とでは、教頭及び副校長の基本給与を管理職経費として含ませるかどうかという点に相違があり、原告が主張するように、これを管理職経費として計上することも、それ自体不合理とはいえないから、右ビラの内容が全く虚偽であるとまではいえない。もっとも、そうだとしても、乙7記載の具体的事実のみから「放漫経営」なる結論を導くことは、その表現において、相当に誇張を含んだものがあるということができる。

(2) 次に、右ビラには、「学園の私物化」という見出しがあり、被告は、住吉学園の理事が理事長の親族を中心に構成されていることから直ちに「私物化」と主張することは失当であるとして、右記載が虚偽であると主張する。

右ビラ(乙七)の記載によれば、新体制になって管理職経費が増加したことを懸念して「学園の私物化」という記載をしているが、管理費が増えたことと学園を私物化することとは、直ちに結びつかないのであるから、右ビラの見出しの「学園の私物化」という表現は、必ずしも適切なものとはいえない。しかし、前記(一)(1)で認定したように、分会は、理事の高額報酬や理事長の親族による学園支配に反対してきたという経過があり、また、右ビラを読めば、分会が管理職経費の増大を批判するため、「学園の私物化」という言葉を使っていて、それ以上に「学園の私物化」を示す具体的事実の記載はない。

してみると、「学園の私物化」という表現には、かなり一方的で、誇張があるということができる。もっとも、右ビラの記載をもって全くの虚偽であるとまではいえない。

(3) このように、原告らが配布したビラの内容は、全くの虚偽であるとまではいえず(もっともかなり一方的で、誇張されたものであるといわざるを得ない。)、ビラの配布が組合活動の一環としてなされていることに照らせば、この程度の内容のビラの作成は、敢えて不当というまでもないというべきである。

(三) しかしながら、一般に、高校が行う入試説明会は、生徒募集活動の重要な場であり、特に児童数の減少により、高校受験者数の減少が予想される状況の下では、大きな役割を持っていると考えられ、その意味において、入試説明会は、学園の行事の中でも特に重要なものであるところ、このような入試説明会の場で、住吉学園を受験しようとする受験生及びその保護者に対し、乙七のようなかなり一方的で、誇張した内容のビラを配布することは、入試説明会に来た受験生や保護者に住吉学園の経営内容について要らぬ誤解や疑いを抱かせ、そのため、受験生が住吉学園の受験を取りやめるということも考えられるのであり、このことは、被告の学校経営を著しく阻害する可能性のある行為であるといわざるを得ない(もっとも、本件において、右ビラ配付により、被告の学校経営に何らかの明白な実害が生じたとの事実は認められない。)。

原告は、分会が住吉学園の財政の健全化を訴えるため社会にアピールすることも正当な組合活動であると主張するが、社会に対するアピールであれば、他にも方法はあり、わざわざ入試説明会の場で、受験生や保護者にビラを配付する必要まではないのであって、(特に、受験生(中学三年生)に対し、前記内容のビラ配付をしたことは、著しく配慮に欠ける行為であるということができる。)、原告らに悪意があったと言われても致し方ないというべきである。

したがって、原告らが行ったビラの右配付行為は、もはや正当な組合活動の範囲内に止まるものであるということはできず、原告の右行為は、就業規則四三条に該当し、何らかの懲戒処分の対象になりうる余地があるというべきである。

3  その他の職務怠慢事由

(一) 追試の時間を間違えて伝えたことについて

被告は、昭和六〇年三月、原告が数学の追試を受ける生徒に追試の時間を間違えて伝えたと主張しているが、乙一五及び証人天野によっても、原告が追試の時間を間違えて伝えたかどうかは明らかではなく、むしろ、甲二二によれば、原告が主張するように、生徒の方が追試の時間を聞き間違えたとも考えられる。

したがって、これをもって原告の解雇事由とすることはできない。

また、仮に、被告の主張どおりであったとしても、この生徒は、特例として再追試を受けたのであるから(争いなし。)、何ら実害を生じていないし、しかも、既に事件発生から一〇年以上も経過していることからすると、これを解雇事由とすることは不適当というべきである。

(二) 校則違反の生徒を帰宅させたことについて

昭和六二年四月二一日三時限終了後、今中教頭(当時生活指導部長)が身だしなみ等において校則に違反した生徒に対し、所持品検査を実施するため生活指導室へ連れて行こうとしたところ、学級担任の原告が、その生徒を教室に連れて行き、「用事がある。」という生徒の言葉で生徒を帰宅させているが(争いなし。)、甲二二によれば、原告は、その生徒の家庭環境を知っていて、その生徒が離婚して別居している実母と会うと言ったことから、自己の判断で帰宅を認めたのであり、このこと自体、教師としての適格性が問題となるものではない。

もっとも、証拠(甲二二、乙二一及び二二)によれば、原告は、その生徒を帰宅させた後、帰宅を認めた理由について今中教頭に説明してなく、学級担任と生活指導部との連携に問題を生じさせているを認めることができる。しかし、このことゆえに、原告に対し解雇をもって処すべきほどのものでもない。

(三) 暴力事件について

昭和六三年二月一日昼休み、原告担任のクラスの生徒N、Oの二名が同じクラスの生徒Kと口論し、Nが蹴るなどの暴行を加えるという事件があり、同日夕方、下校途中の南海本線住之江駅構内のトイレにおいて、原告担任のクラスの生徒S、Aの二名が同じクラスの生徒Mに対し暴行を加えるという事件が発生したが(争いなし。)、原告の担当するクラスで、このような事件がしばしば発生していたわけではなく、たまたま同じ日に二件の暴力事件が発生したにすぎないのであるから、これらの事件の発生をもって、原告が担任としての指導を怠っていたとはいえない。

また、このような事件の発生は、多分に偶発的な要素が強いのであるから被告が主張するように、最初の事件についての指導が不十分であったから後の事件も生じたともいえない。

したがって、この点も原告に対する解雇事由とはならない。

(四) 水泳部の登録ミスについて

昭和六三年六月二七日、当時水泳部の顧問であった原告の不注意から、生徒Mについてインターハイ予選出場の申込ができず、生徒Mがインターハイの予選に出場できなくなったが(争いなし。)、この事件自体八年前のもので、以後、このようなミスは生じていないのであるから(甲二二)、解雇事由とするまでもないというべきである。

(五) 水泳大会の棄権について

平成二年九月一四日に行われた校内水泳大会(学級対抗)に、原告担任のクラスの生徒は全員が棄権しているが(争いなし。)、この時は、水泳大会に出場する選手一〇名を決める段階から出場を嫌う生徒が多かったため、なかなか出場する選手が決まらず、なんとか出場選手を決めたところ(棄権した種目もある。)、大会当日、一部の選手が欠席し、健康上の理由で出場できない選手もいたことから、結果として選手全員が出場しなかった(乙二二)。このような事実経過からすると、水泳大会の出場に際し、原告の指導に問題があったのではないかとも考えられるが、そのことが職員会議などで問題になったことはなく、また、原告の担当するクラスの生徒が毎年水泳大会に出場していないといった事実もないのであるから、これをもって解雇事由とすることはできない。

(六) 修学旅行での体操服の不着用などについて

平成二年一二月六日、修学旅行中、原告担任のクラスの生徒が、体操服を着用せず、しかも、体操服を宅配便で自宅に送り返すということがあったが(争いなし。)、この時、原告は、教頭(現校長)の生徒に対する叱り方が激しかったので、他の引率教諭から原告が許可したのかどうかの確認を求められた際、ここで生徒の言い分を否定すると、生徒たちがさらに叱られると思い、否定も肯定もせずに沈黙していた(甲二二)。

住吉学園では、修学旅行の際、災害時の避難などの安全を考えて、就寝時体操服を着用することになっていたのであるから(争いなし。)、このような事件が発覚した以上、きちんとした指導が必要で、ここでの原告の対応が適切であったかどうかには疑問もあるが、このような原告の対応が、職員会議などで問題になった事実はなく、この時の修学旅行中大きな事故も生じていないことからすると、右事実をもって解雇事由とすることはできない。

(七) 補助簿及び進路指導票の記入について

原告は、平成五年四月、前年度の「補助簿」にクラス名の印を押し忘れ、また、「進路指導票」に模擬テストの成績を記入する欄を間違えて記入しているが(争いなし。)、右事実自体原告の単なる不注意で、教師としての適格性に関わるものではなく、また、甲二二によれば、新しい担任によって訂正され、何ら実害も生じていないのであるから、解雇事由とするまでもないというべきである。

(八) 出張願いについて

被告は、出張願いは事前に提出し、学校の許可を得てから出張すべきであるにもかかわらず、原告は出張後長期間経過した後に出張願いを提出することが多かったと主張する。この点、乙二九の一ないし六によれば、原告が出張後長期間経過した後に出張願いを提出することが多かったことを窺うことができる。

しかし、住吉学園において、出張願いの事前提出が厳密に守られていたかどうかは明らかではなく、仮に、被告の主張する事実があったとしても、このようなことは、適宜原告に対して指導すれば足りることである。

また、被告は、原告が「後出し出張は絶対あかんねな。」と毒づいたと主張しているが、どのような状況の下でこのような発言がなされたかは不明で、これだけでは、原告の教師としての適格性を判断することはできない。

したがって、これらをもって、解雇事由とすることはできない。

(九) 看護婦の発言について

被告は、平成五年一二月四日、修学旅行における付添の看護婦の発言をもって、原告が担任としての行動をとっていないと主張するが、このような発言だけで、教師としての適格性が判断できるものではなく、解雇事由となり得るものではない。

4  以上によれば、被告が問題とする原告の行為のうち、非違行為として認められるのは、入試説明会におけるビラの配付行為のみである。

そこで、以下、これを理由に原告を解雇することが相当かどうかについて検討する。

前記一のとおり、原告の生徒指導がその熱意、方法等において、十分なものであったかは極めて疑わしいこと、また、前記二2(三)で述べたように、原告らが行ったビラの配付行為は、被告の学校経営を阻害する可能性のあるものであること、原告自身そのことの重大性についてあまり認識していないこと、住吉学園の教育目標を実現するに当たり、管理職と原告との間で考え方にズレがあることからすると、原告が住吉学園の教師として適当かどうかについて、疑問の余地がないわけではない。

しかし、被告は、ビラの配布行為のみを理由として原告を解雇することまでは考えていなかったこと(乙三、四及び証人天野)、原告らがビラを配布したのは、入試説明会に来た受験生及び保護者約四〇名で、住吉学園の受験生のごく一部であること、原告らのビラの配布行為によって、この年の受験状況にどのような影響があったかは、必ずしも明らかではないことからすると、前記のとおり原告の教師としての適格性にやや疑問の余地があるとしても、ビラの配布行為を理由に何らかの軽微な懲戒処分を発することはともかく、これのみをもって原告を解雇することは、そのもたらす結果が過酷にすぎるというべきであって、本件解雇は解雇権の濫用に当たり、無効であるというべきである。

三  争点3について

1  平成六年四月分から同七年三月分までの通勤手当について

原告は、通勤手当も賃金の一部で、本件解雇がなければ当然に支給されていた金員であると主張する。

被告の就業規則二三条は、「職員の給与については別に定める給与規程による。」と規定し、これを受けて住吉学園給与規程(以下「給与規程」という。)一三条三項は、「通勤のため交通機関を利用し且つ常にその運賃を負担する職員に対しその定期乗車券の月割計算によって毎月全額支給する。」と規定しているところ(乙二)、右給与規程の条項からすると、通勤手当は、賃金の一部ではなく、実費補償としての性質を有するというべきである。そして、原告は、平成七年四月から住吉学園での就労を再開しているのであるから(原告本人)、平成六年四月分から同七年三月分までの通勤手当を請求することはできない。

これに対し、原告は、本件解雇後もその効力を争い、従業員たる身分があるものとして、ほとんど毎日出勤して就労を求め、この間、自己負担で交通費を支出していたと主張するが、これは就労のためではないから、これを通勤手当として請求することはできない。

2  平成六年四月分以降の主担任手当について

原告は、解雇前も担任を持ち、賃金の一部として、「主担任手当」を支給されていたし、原告の経歴や勤務実績からすれば、本件解雇がなければ、平成六年四月以降の年度も例年と同様担任を持っていたのであるから、「主担任手当」についても請求できると主張する。

しかし、給与規程一三条四項によれば、担任手当は、「教員にして学級担任あるものに限り支給する。」と規定されていて(乙二)、現実に学級担任になった教員に対して支給されるものであるから、学級担任となっていない原告に支給されるべきものではない。

したがって、原告は、「主担任手当」を請求することはできない。

3  以上の事実及び弁論の全趣旨によれば、原告が受け取るべき平成六年四月分以降の賃金、一時金などは以下のとおりであると認めることができる。

(一)(1) 平成六年四月分から同七年三月分までの賃金は、月額五四万〇四〇〇円(基本給五一万二二〇〇円、家族手当二万五六〇〇円、特別手当二六〇〇円)で、この期間の未払賃金の合計は、六四八万四八〇〇円である。

(2) 平成七年四月分から同八年三月分までの賃金は、月額五七万〇五三〇円(基本給五二万五二〇〇円、家族手当二万五六〇〇円、特別手当二七〇〇円、通勤手当一万七〇三〇円)で、この期間の未払賃金の合計は、六八四万六三六〇円である。

(3) 平成八年四月分から同年七月分までの賃金は、月額五七万九〇三〇円(基本給五三万二七〇〇円、家族手当二万六六〇〇円、特別手当二七〇〇円、通勤手当一万七〇三〇円)で、この期間の未払賃金の合計は、二三一万六一二〇円である。

(4) そして、平成六年四月分から同八年七月分までの未払賃金の合計は、一五六四万七二八〇円となる。

(二) 平成六年度夏季一時金は一一五万三三〇〇円、同年度冬季一時金は一八三万二四〇〇円、同年度年度末手当は四七万三三〇〇円、平成七年度夏季一時金は一一八万〇二〇〇円、同年度冬季一時金は一八七万五二〇〇円、同年度年度末手当は四八万三七〇〇円、平成八年度夏季一時金は一一九万七八〇〇円であり、これらの合計は、八一九万五九〇〇円である(争いなし。)。

(三) 図書手当として、各年度一律五万四〇〇〇円が支給され、平成六年度から同八年度までの合計は、一六万二〇〇〇円である(争いなし。)。

(四) 勤続一五年リフレッシュ手当として、平成七年度に金三万円が支給される(争いなし。)。

(五) 以上によれば、平成八年七月分までの未払賃金などの合計は二四〇三万五一八〇円となり、同年八月分以降の賃金は、月額五七万九〇三〇円となる。

四  よって、原告の請求のうち、地位確認を求める部分は理由があるのでこれを認容し、賃金等の支払を求める部分は右認定の限度で理由があるので右限度でこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中路義彦 裁判官末吉幹和 裁判官井上泰人)

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